思考の軌跡をだらだらと

 思い返せば今月の日記は几帳面なほど週休二日制でしたね。
 別に意識していたわけではまったくないんですが、どうもバイトの後は日記を書けるテンションではないので、気付いたらこうなってました。
 今日もバイトで、取り立てて面白いことがあったわけでもないんですが、カレンダーの規則正しさに驚いたので、意味もなくこうして書いてみてます。


 今月をざっと振り返ると、当然のことながら就職関係一色だったと思います。で、もう面接まで一週間を切ってしまったことを焦りつつ思うのは、極端な話ですが、説明会で初対面の人に自分のことをためらいなく話せないようでは、面接官を相手に話ができるはずないんじゃないかということだったりします。コミュニケーション能力がどうのこうのと聞き飽きるほど言われている中で、人見知りがどうとか、もはや言ってられない気がします。
 とはいえ、説明会で初対面の人に自分のことをためらいなく話しまくる人間が果たして聴き上手かという問題もあります。(←自分に言ってます)


 良い面と悪い面とが表裏一体であるように、完璧な人間はいないとは言っても、何もかもそつなくこなせる人を目指す姿勢を見せなければ始まらないのかもしれません。
 じゃあ、何もかもそつなくこなせるっていうのはどういうことなのかを考えたとき、それもまた曖昧で、目指すべき人間像を考える難しさというのが表れてきます。そもそもコミュニケーション能力という言葉が曖昧で、培う手立てを考え付きにくいものだとは思います。


 ここから個人的な話をします。いろいろと考えたいことが多いので、読む人のことはあまり考えず、独白の場としてちょっと書いてみます。思考の整理なので、読みにくさはご了承ください。


 仕事を通じて、人間的な成長を望むのは誰もが大体思うことでしょうけど、それがどんなふうに成長したいのか、3年後、5年後、どうなっていたいのか、と未来に向かって考えてみると、これがさっぱりわからないわけです。人間的な成長って何なのか。
 今まで小説を書くことばっかり考えていたせいで、生きているかぎり物を書き続けていたいとは思っても、人としてどうありたいかを具体的に考えたことがあまりなくて、結構致命的なことなのではないかと思い知りつつあります。人として成長できたかなと思うような瞬間は、いろんな経験の中で感じるものですが、その成長が具体的にどういうものなのかをそのつど言葉にして自分の中に刻んでおかないと、描くべきビジョンというのはなかなか見えにくいものなのかもしれません。
 こんな小説を書きたい、書き続けていたい、というのは、企業に入るうえで直接的なアピールにするとえらくマイナスで、仕事に全力を尽くす覚悟などさらさらないんじゃないかと思われても仕方ないものです。
 だから、考えるべきは、小説を書き続けようと思うに至る、自分を動かす根本的な思いが何であって、その欲求のベクトルが、働くうえでの社会貢献のベクトルとどういう形で重なるか、ということだと思います。
 顕在的で自覚的な思いの中で、あ、この企業いいかも、と思うということは、やっぱり同時に潜在的な部分でも自分の目指すべき姿と、何か一致するものがあるというわけですし、それが何であるかを突き詰めたものが、揺るぎない志望動機になりうるような気がします。
 でも、それを言語化するというのは結構大変で、自分のことなのにわかりきらないもどかしさの中、乾いた雑巾を絞るように言葉をつづってみるしかないわけです。まあ、哲学をやってきて、自己というもののわかりにくさ、ややこしさというのはある程度理解しているつもりではあるんですが。


 書くことは生きること、と言い切ってしまいたいぐらいに自分が思える理由というのを、しっかり言葉にしてみないといけないみたいです。
 簡単に答えようと思ったら、書くことが好きだから、で済むんですが、なぜ好きなのかと一歩踏み込まないと、表面的な部分の自己理解で終わってしまいます。
 でもここから先へ掘り下げた内容というのは、日記に書いて不特定多数の人間にさらすべきものではないので、代わりにワードを立ち上げることになります。多分、いろいろと日頃考えたことの中で、こうして日記に書けることというのは、あくまで表面的な部分でしかないんじゃないかと思います。
 で、普段物を書いている人間は、書いていない人よりその表面的な部分が少し分厚くて、それなりの文章量を書くことで、わりと自分のことをわかったつもりになっていることが多いため、ああ、全然薄っぺらかったとたまに思い知ったりするわけです。


 文章を書いてそれを人に読んでもらいたいというのは、自分の考え方なり価値観なりを誰かと共有したいとか、誰かに自分の思っていることを伝えて影響を及ぼしたいとかいう、イデオロギー的な側面がともなわずにいないとは思います。というか、僕にとっては少なからずそういう面があるわけで、読者に幸せな時間を提供したいと言いながらも、自分の思想を押し付けてしまっているという事実が、見方を変えればはっきりします。
 自己の外部に向けて作品を考えた場合では、ということですが。


 と、自分にとっての人間的な成長を、小説を書くことに即して考えてみると、えらく根本的なところに達します。で、これだけ書いてもなかなか本質には至らない。
 もし、就活をする中で自分の本当にやりたいことは何なのかと誰もが考え始めて、自己の内部にある根源的な生き方の軸を見い出そうとするなら、リクルートスーツを着た学生はみんな立派に哲学者なんじゃないかと思えて笑えます。


 哲学が社会に出るうえで何の役に立つのとか、未だに志望する業界がうまく定まらないとか、自分のやりたいことがわからないとか言っているあなた、一度とことん考えてみてはいかがですか?(イデオロギー
 ……全然人のこと言えませんが。