語りえるものについて

 論理空間の中で考えるかぎり、非言語も言語である。


 あまりに数学的な考え方が自分の中から欠落しているのが腹立たしくて、かつどうしても受かりたくて、意地になって問題を解き続ける日々である。テストセンターまでの日数も、1問解くのに使いたい時間も、ともに足りない。


 今日は某出版社の説明会へ行った。ずいぶんお金がかかっていた。
 働くことに対しての覚悟が足りていない気がしてくる。足りないものだらけだと思う。


 ところで、日記を書いていない日にインターンの友人と熱唱しに行ったので、結構気持ちはすっきりしている。ひとりであっちこっちへ行くことが多い中で、いかに会話が大切かを痛感したりする。


 しかしながら、全然順調ではない。まあこんなもんかとも思うけれど、多少へこむ。厳しい世の中だとは言っても、比較する対象が自分の中にないのだから、やっぱりこんなもんかと納得しながら前を向いている以外にないとは思う。


 さて。各地の説明会へと足を運びながら、それでも電車内と寝る前ぐらいは好きな本を読むようにしている。細かいことを言うと、電車内では文庫、就寝前はハードカバーを読んでいる。


 ――この小説のあらすじはどんなですか。そういう質問を、本の好きな人はしないことが多い。


 まだ読み終えていないものの、就寝前に少しずつ読んでいる川上弘美さんの書評集『大好きな本』の中の一節である。思わず、うんうんとうなずいている自分がいた。
「どんな話だったか」はあまり訊かない代わりに、「どうだったか」を訊く。解釈から少し飛躍するけれど、個人的なことを言えば、読んでどういう感情を得て、どんなことを考えるに至ったか、それを聞きたいのだと思う。
 極端なことを言ってしまえば、あらすじを言って内容がわかるなら別に読まなくたっていいと思うし、小説の魅力は通読して初めてわかるものだと思う。本を薦める際に興味を持ってもらうためにあらすじを説明することはあるけれど、実はあまりそれも好きではなかったりする。
 まあ、もちろん例外はあるけれど。
 内容より、読んだ人の考え方なり物の見方なりにささやかな変化をもたらすような小説を、自分が書きたいと思っているからだというのが、大きな理由ではある。


 そんな感じで、今日は雑多に幅広く語ってみた。書きたい小説の構想が2本ほどあるけれど、とてもそれどころではない。