自信と不安の狭間で

 根拠のない自信というのは不安の裏返しで、ネガティブになるのが怖いだけのように思います。


 唐突ですが、「血の気が引く瞬間」ってありますよね。
 ある程度勉強して挑んだテストで、勉強していなかった範囲が出題されて何もかも全然わからないという状況に陥る瞬間。
 教科書持ち込み可能の試験で、教科書を家に忘れたことに電車に乗ってから気付いた瞬間。
 絶対に遅刻してはいけない日の朝に寝過ごして、まどろみの中で目覚まし時計が示す数字を目の当たりにする瞬間。
 レポート提出の締切日を1日勘違いしていたことを、締切日翌日になって知った瞬間。
 自分では仲が良いと思っていた友人が、自分の陰口を言っていたことを第三者の口から聞いた瞬間。
 長いこと好きだった人が、自分の知っている人と仲良さそうに二人で歩いているのを目撃した瞬間。


 虚実入り混じった例を挙げましたが、このもうどうしようもないというか、取り返しのつきそうにない状況に陥るのが――まあ誰だってそうでしょうけど――ものすごく怖くて嫌いです。
 事前の努力で回避できるものなら、何としても回避したい。


 来年にかけて本格化する就活について思うとき、もし今何も頑張らなかったらと、それを考えただけで血の気が引きそうになります。
 その背筋が凍るような不安を抱え続けるのが絶対に嫌で、無理やりにでも前向きに、ポジティブに物事を考えようとしています。取り返しのつかない状況に陥るかもしれない、と想像しながら日々を過ごすなんて身が持たないうえに、ネガティブな部分が表面化して、友人まで不安にさせることになれば、それこそ責任を感じて死にたくなるでしょうし。
 ただ、そうなるのが嫌だからという理由で強引に作り上げた自信というのは、いざ現実に直面した瞬間崩れ去る可能性を孕んだ、ある種の「逃げ」になってしまう危険を伴っています。
 だから、作りものの自信に根拠を与えるために、とりあえず頑張るしかない。


 こんなことを日記に書いてしまいたくなるという時点で、すでに不安が表面化している事実の証明になるんですが。
 こういう日記がこの先増えそうで怖い。




 それが砂上の楼閣を補強するだけにしかならないにしても、自分なら大丈夫だと誰かに言ってもらうことが、何よりの自信になるんだろうな。
 何の根拠があってそんなこと言ってるんだと、励ましさえ拒絶するようにだけは絶対になりたくないものです。