満月を見上げて

 忙しさに慣れた、というのがここ最近の実感で、なんとかなる、の幅が広がったように思う。いろいろなことを考えて生きていたいけれど、そんな意志を越えて、仕事のことばかり考えている。厳しいことも言われるし、求められることが高いのも相変わらずではあるけれど、充実しているのは事実である。自分の練り上げた言葉や文章が受け入れられ、自分を慕ってくれるひと、支持してくれるひとがいて、誰も代わりができない、と言えば言い過ぎだけれど、それに近い場所にいる。
 とても幸せなことだと思う。


 ただ、その幸せを心の底から噛みしめることができていないような気がするのは、やはり、読むこと、書くことの方向性が、長い間志してきたほうとは別の方向を向いているように思えるからなのだろう。
 これはこれで楽しい。けれど、本当にそれでいいのか。もっとやりたいことがあるのではないかと、現在地に疑問を呈する声が響く。仕事外の自由やひととのつながりは激減してしまったけれど、正直に言って、多分これ以上充実感の得られる仕事は、そう簡単には得られないと思う。
 すべてを満たすことなどできるわけもない。贅沢な悩みなのかもしれない。


 こうして、考えていることを書きとめる時間も減ってしまったことがかなしい。忙しくてできなかった、というのが本音なのだが、本当はできたのに、それをしようとしなかっただけではないかと叱る声が聴こえる。
 小説を書きたい。
 思っているだけで、実行に移せないのが苦しい。休みの日に仕事を持ち帰って片付けなければならない現状は確かにある。けれど、仕事をするかたわら、体調を崩しながらも書き続けている友人を見ていると、自分にそこまでのエネルギーが果たしてあるだろうか、と自信がなくなる。
 小説を書きたいという思いが、どれほどのものなのか、疑いの目はそこに向いている。ずっと続けてきた読むこと、書くことが減って、自分が自分でなくなるような怖さが募るけれど、積み重ねてきたと思っているその自分は、果たしてそれほど大切で、確固たる存在なのだろうか。吹けば飛ぶような薄っぺらい自己で、落としたらたやすく割れてしまうプライドを、意味もなく大事にしてきただけのような気がして、目を背ける。
 どうしたらいいのだろう、と思うが、考えている間に休日は終わり、仕事に押しつぶされる日々に帰らざるをえない。


 人間関係でも同じようなことが言えて、仕事外でひとと会う時間を作りたいとは思うものの、最近はどうしたって、仕事での睡眠不足が避けられず、午前中は眠ったままで、午後は生活に必要なものを買いに出かけるか、本を読むか、持って帰ってきた仕事をするかしかできない。
 誘われるのを待っているだけであるとか、他人に会う時間を作る努力を怠っているとか、言われても仕方がないのかもしれないけれど、この生活のどこにひとと会う時間を作れるのだろう、とも思う。


 仕事が充実している以外はとり立てて何もない、ということを、幸せに感じる一方で、込み上げるさみしさを持て余して、今日も眠るしかない。凍えそうな寒空に、月が綺麗だった。
 太陽の光に満たされ輝いている月も、表面に降り立てば寒々しいクレーターだらけである。照らされた満月が美しいことを、ただ喜んでいるだけでいいのだろうか。