解放

 どこか遠くへ解き放ちたいわだかまりについて少し。


 記憶の片隅に、かつて適切なタイミングで外に出すことのできなかった思いがある。むしろ片隅に追いやったのは長い目で見ればここ最近のことで、意外に根強く自分の中に残り続けていた心情なのかもしれず、物とは違って簡単に捨てることもできずにいたらしい。
 自分以外の特定の人のために温めていたはずのものだったのだけれど、差し出す機会もなく、にもかかわらず冷めても何度か温め直し、いつかどこかでと未練がましく持ち続けていたものだった。


 しかしながら、人というのは変わるもので、変わるどころか変り果てることもあるぐらいである。この場合変わったのはおそらく自分なのだろうとは思うのだけれど、今となっては持ち続けていた気持ちは、差し出さないままでよかったのだろうとすら思うし、確信もしている。


 おそらく、というか間違いなく、それを差し出すはずの相手にとってみれば、そんなことを考え続けていたことすら心の片隅にもないだろうし、それはきっと薄らいでいく過去の一点の曇りのようなものだと思っている。それどころか、曇りですらないような気もする。


 あれは何だったのだろう、と時折思い返す。真偽もわからない理由が並べてられて生まれた空白で、ある一点を境に何もかもがかき消された。けれど、文字通り残念なことにそれは完全には消えてはくれず、上書きもできないままだったのだと思う。
 冷静に見れば、求められているものを自分が持っていなかっただけのことではあるのだが。


 今だから言えるのだと思って、これを書いている。
 何でもないようでいて、心苦しかった時間は長く尾を引いて、淀んだまま残り続けていたのだと、突きつけたいのかもしれない。そして、そんな過去が一切関係のない場所まで今、辿り着けたことを喜んでいたいのだと思う。そんなこともあったのだと懐かしめる地点にいて、そうだったんだねと気持ちよく笑い飛ばされることもある。
 なかなかひどい日記である。
 でも多分、そのひどさに傷つく対象となる人は誰もおらず、結局は誰にともない記述で終わる。しかもそれが一番いいような気がしているからこそ、こうして書き連ねたのかもしれない。