一息に駆け抜けたあとに

 しばらくは読まないだろうと思われていそうであれば、すぐさま読んでみようかと予想を裏切りたくなる。読み手の思い込みを覆すのが書き手である。鮮やかな方法で、そのようなことが小説として試みられている作品を読み終えた。


 道尾秀介[著] 『向日葵の咲かない夏』(新潮文庫


 伊坂作品を読み終えたところで、せっかくだからこの流れでミステリーを読むのがちょうどよいのではないかと思って、直木賞を受賞され、話題となっている道尾さんの作品に手を伸ばすことにした。
 どれから手に取るべきかずいぶんと悩んだのだけれど、文庫になっているもので、できるだけとっつきやすそうなものを選ぼうと思い、これにした。


 物語の主人公は、10歳の誕生日を間近にひかえた少年、ミチオである。夏休み前の終業式の日、彼は休んでいたクラスメイトの家にプリントなどを届けに向かうのだが、行ってみればそこには首を吊った友人の死体がある。慌てて学校へ戻り、先生にそれを伝えるのだけれど、先生や警察が確かめに行ったとき、死体はどこにもなかった。
 一週間後、思わぬかたちでその友人はミチオの前に姿を現す。
 そこからミチオは彼とともに、事件の真相を求めて手がかりを集めようと奔走する。


 シンプルな推理小説として読み始められるのだが、そこには多少幻想的な要素が絡んでおり、よくあるクロスジャンルのものだろうと思って読み進めると、完敗を喫することになるだろう。
 息もつかせぬ展開によって読み手を離さない文章のたたみ掛けは見事であり、単なる推理小説としても充分面白いと思って読んでいける。
 けれど、単なる推理小説のままだったら、大した作家だとは言えないはずだと思って、何かあるだろうと考えながら読んでいたのだけれど、読み終えてみれば想像の上を行かれてため息が出る。


 本格的なミステリー作品を読んだこと自体が久しぶりだったうえ、それほど推理小説も読まないから免疫がないのか、読後には拍手を贈りたくなった反面、読んでいて非常に苦しかった。
 何せ残酷なのだ。生々しい死を生々しく書ききる力量は賞賛すべきであっても、救いが結末にしかなければ、読み終えるまでの時間が長ければ長いほど苦しみは増す。だから、一気に読まされたのは必然だと思う。
 正直、一息に読んでしまわなければ堪えられなかった。
 多分それもまた、繰り返しになるがミステリーを普段読まないからこそ感じるつらさなのかもしれない。でも、読んでいる途中で、この作品から入ったのは間違いではなかったかとすら思ったのも事実である。


 しかし。無事読み終えてしまえば、読んでいる途中に感じたような重みはずいぶんなくなるし、叙述トリックの巧みさに舌を巻かざるをえない。
 だから、これから読むひとに向けて言うとすれば、時間があるときに一気読みすることをお薦めします、という一言に尽きる。
 もちろん、ミステリーが好きでよく読むひとにとってみれば、とてつもなく面白い作品として読めるのは間違いないとも思うので、あくまで個人の感想として受け止めてもらえたらありがたい。


 主観的な思い込みが真実をあやふやにさせる。言葉によって書かれたものならば余計に、その言葉の選び方に注意を向けるべきである。しんどかったけれど、初めて読む作家ならではの新鮮さを存分に感じることができた。ただ、しばらくはちょっといいかも、と思う。