無題

携帯電話で文章を書くと、言葉が死んでいるみたいに見える。


何がそうさせるのか、非常に気持ちが悪い。パソコンで書こうが携帯電話から書こうが手書きであろうが自分の言葉なのに、それぞれが別の自分であるというのは疑いえないと思う。その中でもとりわけ携帯電話がだめなのは、単に一度に書ける量やスピードの問題なのか画面全体に表示される文字の量の少なさの問題なのか。私的なメールを打つものとしてのケータイで、公的な性質を帯びるブログを書くことへの抵抗ももしかしてあるのか。


考えた末に、少ない言葉で本質的なことだけを表現するのが苦手な自分が浮き彫りになるという悲しみ。


つぶやき始めたら何か変わるんだろうかと思案しつつ踏み込めない文月の夜。自宅なう。パソコンがあろうとなかろうと社会とのつながりは増えも減りもせず、時間は平等なのか不平等なのかも明らかにならぬまま流れていきます。


どんな媒体、形式であっても生きた言葉を書けるひとでありたいなあ。