本気になるということ

 早く面接本番を迎えたい、という思いが出てくることは、これまでなかったように思う。一つの到達点として、考え抜いた先の境地へ辿り着いた感覚がある。頭の中がクリーンで、非常にすっきりと、整然としている。迷いらしい迷いはなく、揺るぎそうにない確固たるものが、自分の中に打ち立てられている。根拠のない自信は、これまで幾度となく抱いてきたけれど、今ある自信には説明可能な根拠がある。
 強みになる部分はもちろんのこと、弱い部分も理解し、認め、受け入れ、肯定できている。過去から現在にかけての自分についてなら、面接で何を聞かれてもこたえられる確信がある。あとは、過去と現在をふまえ、培ってきたものを未来にどう活かしていくか、選考中の企業で必要なものと重ね合わせて表現する言葉を練っていくのみ。


 正直なところ、怖いくらいの自信だと自分でも思っている。これが実際には不安の裏返しではないかとも考えた。けれど、何人かの友人に、思っていることを披瀝してみたら、それがはったりではなさそうだと裏付けられるに至った。


 ただ、この精神状態はいつまで続くのだろうと考えると、別の怖さが現れてくる。ピークに達してしまえば、あとは下降する以外にないのだとも考えられないことはない。
 そして、今現在、本当に落ち度はないのかと自問すれば、そんなことはあるはずがないのである。開かれた道を迷いなく突き進むだけなのだけれど、その先に待っているものが自分の求めているものかどうかというのは、結局は行ってみなければわからないのだと思う。


 要するに、残りのかぎられた時間を、後悔がないように、あとになって納得できるように過ごしていくしかない。いろいろ考えて思うのは、やっぱり当たり前のことだったと気付く。
 大丈夫なのかそうでないのか、これまでのことを考えてみても、こたえはすべて、文章に現れてきているんじゃないかと改めて思った。