新しい何かが眼ざめる

 意識を傾ける方向を変えようとするとき、言葉のダムができる。


 物語を紡いでいく語彙と、社会に対して自分を語る語彙には、少なからず隔たりがある。表現の方法が異なるのだから無理もないが、就職のために使う語彙は、どう組み合わせても手垢がついた表現にならざるをえないことが多く、他人と違うオリジナリティを生み出すのは難しい。
 感謝、感動、信頼、やりがい、成長、社会への貢献――。
 これらを何とかして全然別の言葉で表現できないだろうかと、ずっと考えている。それぞれ、噛み砕いて具体的な言い方をすることは可能である。けれど、かぎられた文字数で、短くても相手に響く言葉にしようとするなら、そういう包括的な単語を用いるほかないのかもしれない。


 重要なのは二つ。
 まず、客観的に自分を分析したうえで、適切な言葉を用いること。
 そして、抽象的な単語を用いる場合、具体的な根拠が自分の中で明確に認識できていること。掘り下げた説明がつねに可能であること。


 小説の構想を考えるところから、強引にESの内容を考えるところへ意識を傾けたせいか、ESの文章すら創作物として扱おうとしていて、ある意味それが正しいような気もしている。
 これまで、趣味と仕事が別であることを自分に刻むために、就職と小説とを真っ二つに分けて必死に言葉を考え抜こうとしていたので、こういった考え方はなかなかできなかった。けれど、第一志望に落ちてから急激に読書を重ねたおかげで、何か自信と余裕(あるいは過信)みたいなものが生まれたのかもしれない。よくもわるくも。


 これぞあうふへーべんである。という気がしないでもない。