米粒がつくる共同体

 昨日学内の購買で、三角ではなく丸いタイプの、見慣れないおにぎりを見つけた。


「直巻 ちらし寿司」と書いてある。


 友人と物珍しげに見る。


「…………ちらしてへんやん」
「あ、ほんまや」


 とりあえず声を上げて笑ったあと、ちらし寿司の定義について議論が始まった。
 これはちらし寿司を固めたものであって味はまぎれもないちらし寿司なのだから、ちらし寿司と呼んで差し支えないのか。それともやっぱりちらし寿司はちらした状態でこそちらし寿司と呼べるのだから、これは「ちらし寿司」ではなく「ちらした寿司」と過去形で呼ぶべきではないか。
 売り場に平然と並んでラベルどおりちらし寿司たらんとしているおにぎりであったが、米粒はぎっしり丸く固められていて、過去にちらされた痕跡すらないように見える。
 もしかしたらこれは自分で小皿を用意し、セルフでちらすものなのだろうか。となるとこれはひょっとしたら「ちらし寿司(未来形)」なのかもしれない、とおもう。
 でもそうなるとおにぎりとして固められたメリットが一瞬にして文字通り散ってしまうのではないか。おにぎりとしての存在様態が、ちらされることできれいさっぱり崩壊しかねない。
 ちらし寿司は果たしておにぎりたりうるのか、というこの矛盾を孕む問いは、一晩考えたものの解決しそうにない。
 結論として言えるのは、一緒に見つけた友人が今日、おいしく召し上がっていたということのみである。