まるい鏡が映すもの

 偶然のめぐり合わせで出会った人が、どこか遠く、忘れてしまった記憶の彼方で出会っている人だったらと、現実と物語のあいだをたゆたうように本を閉じる。それが幻想でも妄想でも、そんなふうに現実を意味づけられたら、少しは強く生きられそうな気もする。そして、この本をもしも、学生時代に読んでいたら、没頭するように作品を読みふけっただろうなとも思う。
 
 辻村深月かがみの孤城 上・下』(ポプラ文庫)を読み終えた。
 
 今さら、という感じはあるけれど、今読めてよかったと思っている。身近に読んでいる人がいたことが手に取ったきっかけだが、作者の辻村さんの「辻」が、綾辻行人さんから来ていること、それぐらい辻村さん自身が綾辻さんの作品に影響を受けているということ。ウィキペディアを開くまで知らなかったのだけれど、それを言われたらすぐに読んだのに、と思ってしまった。
 
 すでに売れているうえに本屋大賞にもなっているので、かえって手に取りにくかったが、綾辻さんの作品をほぼすべて読んだ今、前述の情報を知ったとなれば読まないわけにはいかない。予想通りの読みやすさで、ほとんど一気に読んでしまった。そして面白かった。
 
 
 ある事情から学校に通えなくなった中学1年生の安西こころに、自室の鏡が呼びかける。鏡の向こうに待ち構える城と、同じように呼びかけられ、集められた6人の子どもたち、そして狼の仮面をかぶった少女。そこは、願いを叶える鍵を探すための場所――。
 ファンタジーの様式美を入口にしながら読み手を引き込み、厳しい現実世界と、鏡の中の世界との往復の中で明かされていく謎の数々。
 
 集められた7人のそれぞれの境遇が明かされながら、張り巡らされた横糸をたどっていくうちに気づかされる、縦糸の存在。伏線はわかりやすいほうだとはいえ、ある程度の予想はできていても、その緻密な構成に膝を打つ。綾辻行人さんの『時計館の殺人』を読んだときもこんなふうだった気がすると、その衝撃を思い返しつつ、ページをめくる手は止まらなかった。
 
 物語としての美しさと、ミステリとしての巧みさが織りなす作品の完成度に、誰しもが経験する「大人になっていく」ことの違和感や理不尽さと、それに屈しながらも受容し乗り越えようとしていく過程が描かれている。
 
 
 1学年が2クラスしかなかった小学校で6年間を過ごし、中学から3校が集まって1学年7クラスになる環境の変化を、身をもって経験した自分の記憶が甦る。
 自分と相手という一対一の関係性から、どこに属すか、誰と一緒にいるかという集団を介した見られ方をする関係性へ、すんなり移行できる人間と、できない人間がいて、自分は紛れもなく後者だった。あだ名で呼び合っていた友人から、自分の苗字を呼び捨てにされたとき、他人行儀になっていく友人との距離感を突きつけられ、その一方で、その友人と昔と変わらぬ距離感で関わり続ける友人もいて、「人を選ぶ」という残酷さの前にどうすることもできなかったことを思い出す。6年間で築き上げたはずの関係が古いものとなっていくことについて、人はそんなふうにして変わっていくのだなと今なら思うけれど、当時は自分も新しい関係の中にいて、多少は傷つきながらも何とか闘って、生きてきたのだったと思い至る。物語が鏡になって、読んでいた自分の記憶を映し出したようにも思えた。
 
 そんな、ずいぶん昔に忘れていた傷のことを思い返し、幻のようなわずかな痛みを感じる一方で、そこに温かな救いがあてがわれた心地よさを伴って、小説は幕を閉じる。表紙に描かれた円い姿見のように、物語が描き切ったその円環を思う。少し美しすぎる気もするけれど、物語なのだから、それぐらいでいいのかもしれない。鏡は現在の自分を、そしてこれからの自分を映している。
 
 名作の確かな安心感とともに、冬の劇場アニメ映画化が気になり始めた。

わずか一点の綻びから

 長い歳月をかけて緻密かつ繊細に作り上げられた完成品が、一瞬にして崩れ去る瞬間というのは、儚いながらも名状しがたい美しさを放つ。それは打ち上げ花火が夜空に開花する瞬間や、桜が散りゆく瞬間に代表されるような、日本的な美の性質と言えるのかもしれない。そういった美の有様を、推理小説にも見出せると思ってしまうのは偏見だろうか。
 
 昨年、『黒いトランク』を読んで以来、鮎川哲也(1919~2002)のミステリを継続的に読んでいる。絶版になっているものも多いなかで、『りら荘事件』、『白の恐怖』、『憎悪の化石』、『風の証言』、『翳ある墓標』、『五つの時計』、『黒い蹉跌』を読み終え、次は『白い陥穽』を読むつもりでいる。
 
 作者のその活動期間から明らかな通り、作品の舞台となる時代は1950年~70年代で、そこには当然、スマートフォンはおろかガラケーもPCもない。位置情報や乗換案内のないなかで緻密に組み上げられる鉄壁のアリバイが、わずかな一点の綻びから崩れ去る瞬間というのは、不可逆的な一回性の美をそこに見出すのに十分な条件を備えていると言っていい。
 時刻表の空隙の発見、現像された写真と些細な天候状況の齟齬などによって、完全犯罪の成立が阻まれ、真犯人が明らかにされる。その過程に描かれる、足を使った地道な聞き込み捜査や現場検証が、真相解明の瞬間の快さをよりいっそう後押しして、気づけば癖になっているのである(さらに言えば、吹雪の山荘や死体の傍に置かれたトランプなど、屈指のベタ展開も魅力の一つであろう)。
 
 そんな鮎川作品を、前時代的だから、インターネットがある現代ではありえないからと、過去の遺物として追いやるのはあまりにも惜しい、と絶版の多い状況を憂えている。
 
 今や多くの世代の人々にとって、ネットのない時代というのは、回想可能な過去ではなく、想像することしかできない昔のことだ。たとえ当時を知っていたとしても、「あるのが当たり前」になってしまった現代人が、「ないのが当たり前」だった過去を、当時の人間と同じようには思い描けない。
 推理小説は、推理小説だからこそ、リアリティを伴った論理性や客観性が必要とされる。その現実性の枠の中に築かれた物語は、実感を伴った過去として、その時代を映してわれわれに見せてくれる。
 
 過去は時間とともに史実となり、実感が削ぎ落とされた知識になっていくけれど、確かな温度や想像可能な実感をもたらしてくれる作品の貴重さに、目を向けていたいと思う。それは決して、「あの頃はよかった」と考えることとは違う。自分自身も含め、同世代やあるいはそれ以下の世代にとって、鮎川哲也作品に描かれる時代は、「あの頃」ではなく「ぎりぎり回想できない昔」なのだ。両親や学校の先生など、上の世代から聞かされることはあっても、経験はしていない時代の空気が、そこに流れている。作品の細部に垣間見える人間の振る舞いや価値観の違いが、現代を見る目を相対化するはずである。
 後戻りのできない過去であっても、「そんな時代があった」ことに思いを馳せることは、この現実の生きがたい唯一性を、ひとときでも忘れさせてくれるきっかけになる。それもまた、娯楽としての推理小説の役割の一つではないだろうか。
 
 この記事をノートに下書きする際、手書きの心地よさを覚えながら、ふと、それはあくまでも、キーボードやフリック入力の対比として感じる心地よさなのだろうと気づく瞬間があった。「書く」という行為の形式が多様化した今、手書きに感じる心地よさは、純粋に「書く」ことをしていた人々の実感とはきっと別のものなのだ。
 そのときを知っているからこそ描き出せる実感や、生活しているうえで感じる機微を、形に残す価値について、改めて考えている。「現代」しか知らない人が「当時」から今を見つめ直す契機は、こうして何気なく綴った文章のなかにあるのかもしれない。それはどこか、完璧に思われたアリバイが崩れ、靄がかかった真相が見えてくる瞬間にも似ているような、そんな気がするのである。

祭りの後

 尾道への再訪と、東尋坊への突発的な挑戦を経て、考え続けていたのは人間関係のことだった。
 大学時代のことを振り返って、もっと人間関係を広げておけばよかった、と一人旅をしながら思う。

 

 当時、片道2時間の通学をしながら、専攻の友人たちと本や研究の話をすることで十分に満たされていたので、それはそれでよかったのだと思う。ただ、今思えば、ずいぶん余力を残して終わったような気もしていて、もっと広げられたのではないかと、おそらく今の自分だからこそ考えてしまう。

 

 仕事でたくさんの人と関わるようになったことが、少なからず自分を変えた部分はあるけれど、所属する場所を複数作ることを、もっとやっておけばよかったなとときどき思う。

 

 高校時代の人間関係で苦労したことが、積極的に関係性を広げる足枷になったのは自覚している。
 高2のとき、クラスのメンバーの部活が見事にばらばらで、みんなが無理して人付き合いをしているようなところがあった。興味のない会話に自分を合わせにいくことができるほど器用ではないのに、そこに合わせにいかないと孤立するという、極端に言えばそういう空間だった。孤立といっても、「隅の方にいる数人」として位置づけられるだけで、真の意味で孤独だったわけではない。ただ、「隅の方にいる数人」という見られ方をされるのが嫌で、個人としての自分をきちんと見てほしかった。

 

 山崎ナオコーラさんの小説に、「人間関係の基本は一対一」というフレーズがよく出てくる。最近は作品を追えていないのだけれど、このフレーズは忘れることなく、強い共感を持って自分の中に残っている。

 

 別にどう思われてもいいやと思えればよかったのだろうけれど、高校の教室という空間ではそこまで強くなれなかった。
 大学に入って、教室という空間から解き放たれるよろこびが大きかったので、いっそう自分からわざわざどこかに所属することをしようと思えなかった。自分のペースで生きていきたい、それを不用意に乱されたくないと、過剰なまでに思っていたような気がする。

 

 だから、当時どうにもできなかったのは、今の自分から振り返っても仕方がないとは思う。

 

 ならばなぜ、この話をしているかと言えば、「どう思われてもいいや」という思い切りみたいなものが、この年になってようやくできるようになり始めているからかもしれない。依然として、「人に良く思われたい」とか「恥をかきたくない」という思いは強いけれど、何をどう頑張っても、本質的な部分の見え方はすぐに変えようがないし、取り繕ったところで仕方がないということを、実感を持って理解したのだろうと思う。

 

 それは、見せ方の努力に意味がないという話ではない。一つひとつきちんと頑張ってきた部分は自分の人格の中に息づいているし、それは隠す隠さない以前に、何らかの形で見えるものだということである。逆に言えば、表層的な部分だけを見て判断されようが、大事にしてきた部分が支えになって、立ち続けていられるということだ。

 

 すべてが自分であり、「本当の自分」などない、という言い方をされることがある。先に述べた「本質的な部分」というのは、「本当の自分」という意味ではない。自分自身が根拠を持って選び、時間をかけてきた事柄によって規定される自分の一部のようなものだ。それは、少しのことでは揺らぎようがなく、にじみ出てしまうものとして現れる。そういうものが寄り集まって、その人の人柄を形成している。「どれも本当の自分」というような言い方はしたくないが、「どの自分でいてもにじみ出てしまうもの」というのがその人の本質だと思う。

 

 個人的なことを言えば、相応の時間をかけて出来上がっている今の自分自身が、職場である程度受け入れてもらえている、というのが本当にありがたい。そこにいていいと思われること、必要とされることで、自信になる。その自信があるから、あのときもっとああしていれば、と思ってしまうのかもしれない。そのときの自分が受け入れられる場所は、他にもたくさんあったのではないか、というふうに。

 

 過去を過去として語れてしまうだけの時間が流れた、というのも大きいのだろうと思う。
 雑感としてこれを書き連ねることが何になるのか、と考え始めると、急に自信がなくなりそうになるけれど、思考の跡を残すことそのものにささやかでも意味があると信じて、まとまりなく記事を終えることにする。

 結局今から何を考えても後の祭りかもしれないけれど、祭りの後の雰囲気は、決して悪いものではないし、と取って付けたような一言を添えておきたい。

堆積する揺らぎ

 年齢は「重ねる」「召す」と言う。土砂や泥が積み重なって地層が現れるとすれば、経験が堆積してできる年齢はどのような地層で現れるのか。時間を身にまとうことはできないけれど、外見も内面も、生成と破壊をつねに繰り返しながらそこにあって、絶えざる運動を便宜的に静止させながら、恣意的な節目を人間はその都度祝ったり祝われたりする。

 

 木や革は、経年変化で味わい深い色や手触りを生む。経年変化とは便利な言葉だが、人間においては老化と言い換えることもできてしまう。加齢による不可逆的な変化を憂うほどの年齢でもないけれど、一つ増えることの祝福ではなく、祝福されることそのものに悦びが見出される。変わらずそこにいられること、平穏無事に生きていること、そしてその事実を祝福されうること。その一つひとつが素直に嬉しい。

 

 マースルバーチの木は、バクテリアから身を守った跡が、黒い杢になって現れる。
 プエブロレザーについていく細かな傷は、時間とともに艶になる。
 これらもまた、時間による刻印が目に見える形で発現する好例で、その一つひとつが味わいになる。

 

 自分自身のことは自分では見えないが、人は鏡だとも言われる。自分自身の変化より、周囲の変化から感じ取れるもののほうが、より真実味を帯びて感じられる。思わぬ人から思わぬ言葉が贈られて驚いてしまうのは、不規則な揺れによってできた断層の発現にも似ている。秩序が整ったものよりも、混沌を孕んだもののほうが環境の変化に適応しやすいように、長く生きていくにはきっと、揺らぎを受け入れながら自分の一部としていくことが大切なのかもしれない。

 

 だとすれば、生活リズムを崩すようにして刻む文章も、不規則な生き様の刻印のようで、数年後に味わいを生んでいる可能性があるのだろうか。
 今さら言うまでもないが、とりとめのない思考を重ねた痕跡が文章となり、それが降り積もるようにしてできているのがこのブログである。上から堆積した文章の群れを、地層として横から眺める人たちがどう思うのかはわからないけれど、決して目に見えることのない時間の流れがそこに現れているなら、砂金程度のささやかな意味や価値が生み出せているのかもしれない、とそんなことを思った誕生日だった。

居場所と人脈

 職場での人間関係が広がっている。11年も続けていると、さすがに自分のことを知っている人も増え、仲良くさせていただくことも増える。合う、合わないはもちろんあるけれど、おおむね円満に、楽しく仕事ができている。居心地もよく、やりがいも大きい。


 SNSというか、文章表現というものの性質上、ネガティブな事柄のほうが書きやすく、ポジティブな事柄は書きにくい。
 負の感情の吐露は、共感や同情(あるいは優越感?)を呼ぶが、喜びや幸せは、自慢のように映れば僻みや妬みを生む。人は余裕のないとき、他人の幸福を素直に喜べなくなる。どうして自分はこんなにつらいのにこの人は、と考えてしまう。そこに自分との関係は何もないはずなのに、いたずらに比べて落ち込んでしまう。
 数年ほどそういう思いをしてきて、今はっきりと実感するのは、「余裕のある」状態の視界の広さである。ようやく「自分のことで精一杯」の状態から解放されたという感覚がある。だから、気持ちが外に向き始めている。

 

 今月の上旬、後輩の誕生日にボールペン(カランダッシュ849)をプレゼントした。
 筆記具沼への布教の意味も強かったけれど、日頃お世話になっているので何かしたいなと自然に思っていた。そう思ったとき、人に物を贈るなんて、考えることもないほど必死だったのだと気づいた。あげたものを喜んでもらえたことはもちろん嬉しかったけれど、感謝を伝えられたのも嬉しかった。

 

 ずっと、どうすれば慕われたり、何かしてあげようと思われたりするのだろうと考えていた。人望の厚い人をうらやんでいた。ただ、余裕のある今になって、周りの人たちに何ができるだろうと考え始めた。余裕のある時期がいつまで続くかはわからない。繁忙期は必ず存在するので、自分のことを最優先にする時期はある。だからこそ、できることをできるうちにやっておきたいと思う。

 

 新年度が始まってから、わざわざ会いにきてもらったり、「楽しそうですね」「しゃべって元気出ました」と言われたりすることがたびたびあって、気づけばこんなにもつながりができていたのだなと驚いた。

 

 過去に、仕事外の自分を肯定・承認してもらいたい思いをここに綴ったことがあるけれど、最近は、職場で自分ができることを尽くした結果、それがきちんと評価されたり、その頑張りを称えてもらえたりすることがありがたい。仕事外の自分ではなく、仕事をしている自分のことをわかってほしいと強く思う。仕事外の時間を自身のケアに使って、パフォーマンスを上げることに集中し、結果を出せたことで得られた信頼や厚意、それに報いたいと思う。

 

 もうすぐ連休。人脈は広がったものの、休日は基本的に一人である。職場で関わる人には、仲は良いとはいえプライベートまで誘うのは気が引けるので、あえて誘わないようにしている。仕事外でわりとあちこち出かけている人でも、誘おうとして声をかけると、コロナを理由に断られることは多くて、便利な世の中になったものだと実感する。
 つながりが増えたように思えても、思い上がりや思い込みの可能性は否定できない。建前と本音、社交辞令と本心の見極めというのは難しいものだけれど、できることを一生懸命やる以外にないのだから、割り切るしかないのだろう。


 書くことや読むこと、撮ることはおろそかにせず、身体を休めながら、楽しくさらなる経験を積みたいと思う。

手元から悠久へ

 桜を撮りに行きたい季節になったのに、迎えた休日は雨で、続いていた暖かさも一転して冷え込んでいる。どこに休日がくるか毎年読めない時期なのだけれど、もともと今年は運悪く、平日でなく日曜日が休みとなっていたり、次の休みも土曜日だったりで、撮影は人混みを覚悟しなければならない。桜を撮りたい思いを抱えたまま木軸のペンを眺めていたら、その杢の模様に引き込まれ、あれこれと物事を考えてしまう休日になった。
 
 どこにも行かずにだらけるのも嫌なので、考えたことはブログにしようと更新を決めた。この文章は、工房楔のローズウッド瘤杢のルーチェペンを使って一度手書きしたものを、PCで打ち込んでいる。
 
 大学時代まで、というか筆記具にのめり込む最近まで、手書きはずっと苦手だった。キーボードと手書きの違いについては以前書いたので、今回は手書きを続けていて思ったことについて書いてみたい。
 
 雑記用のノートを購入して早いもので2ヶ月半くらいになる。心なしか、字がきれいになったような気がしている。急いで書いた文字のバランスは良くないけれど、何かを考えながらペンを動かすとき、それなりに読める字が書けるようになってきたのではと思う。
 
 人に「きれいな字ですね」とか、「その字が好きです」とか言われてみたい。美しい文字でなくても、手書きの文字に表れる人格めいたものは、少しでも見栄えの良いものでありたいと思う。そんなことを思って、「物理的に」書くことが生きることになりつつあるのを感じた。
 
 他方、文章を創作するという意味での書くことについては、自信を失い始めている現状がある。
 というか、単純に余裕がなくなっている。ゼロから虚構を創造する営みの尊さを思いながら、今の自分があまりにも、自分自身の実人生を生きるのに必死なのである。
 
 仕事に追われているわけではないが、体調を崩すのが怖くて無理ができず、むしろいかに健やかでいられるか、心身の調子を万全に保つかに、意識を向け続けている。体調が良くないまま、パフォーマンスを十分に発揮できないことがストレスになるのを何としても避けたい。
 
 そういう自分の心身への意識を習慣にするにはまだ時間が必要で、油断するとすぐにまた怠惰な日々に戻り、体調も崩しやすくなるのが想像できてしまう。それがわかっているだけに、そして休日を休むことで精一杯にしないためにも、最近は自分の体調のケアを最優先にしている。
 
 仕事で会う人たちに、健やかな自分で向き合えるように、そして、やってくる連休には自信を持って会いたい人に会えるように、多忙な時期だからこそ、食生活と睡眠時間の管理に心血を注いでいる(ちなみに昨日までの4日間は、春特有の日中の眠気に抗うために、7.5~8時間の睡眠を確保し続けた)。
 
 当然ながら、8時間も眠ればさすがに体調は良く、それを継続したことで、疲労感はずいぶん軽減できた。ただ日中眠くないと言えばそんなことはなく、春の眠気の凶悪さに改めて戦慄した次第である。
 そして、4日働いて迎えたこの休日も、結局かなりの時間を眠ったうえで、まだ眠気が消えないでいる。気疲れも含め、かなり気合を入れて過ごしていたこともあって、疲労が蓄積しているのだと思う。
 
 仕事だと思えば無理をしてしまうように、休日であっても、何か予定を入れさえすれば、眠くても動けはするので、その眠気には精神的なものも大きいのだろうと思う。生活にメリハリを持たせられるような予定を入れるのが良いのだろうけれど、一番はやはり人に会うことで、結局それが最も難しい。
 
 時期的に仕方がないとはいえ、何かの目標があって頑張るという感じではなく、無事に生きることで精一杯なのだった。
 もう少しすればある程度の余裕は持てるはずなのだけれど、ただただ倒れるのが怖いと思う。
 
 心身への意識に一生懸命になっていると、さみしさを感じる余裕もない。
 仕事をしていない自分への承認を渇望する思いがどこかへ消えて、今はただ、仕事をしている自分をベストな状態にしたいと思っている。社畜化しているのかもしれない。でも、それが悪いことだとも思わない。職場の人間関係は何も悪くないし、やりたいことをさせてもらえているなかで、自分がどこまでの成果を出せるのか、追求したい思いがある。
 かつて、仕事外の自分を削るのは嫌だった。いや、今でも好ましいとは思えない。けれど、仕事外の充実を求めたら体調を崩すかもしれないという恐怖感が、最近はつきまとっている。何とかもう少し、体調管理をうまくできるように習慣を整えたい。余裕が出てきたらきっと、仕事をしているだけの自分に嫌気が差す瞬間も戻ってくるだろう。
 
 職場でも自宅でも、木軸のペンを握る。木の持つ温もりや重みは、長い時間を伴ってできた重みで、それを手元に見つめることは、時間の痕跡を見つめ、時間の流れに思いを馳せることにほかならない。目の前の体調管理に必死になる一方で、人間としての時間を積み重ねるなかで、自分にできることは何だろう、と遥か遠くのことを考え続けている、そんな日々である。

木と交わす契り

 昨年末に木軸のボールペン、LAMY2000ブラックウッドを購入してから、木製のペンに惹かれるようになった。筆記具を調べていくと、きっと必ず出会うのだろう、木軸のペンをたった一人で作る職人、永田篤史さんの工房楔(せつ)の木軸ペンに、年始から惹かれ始めていた。
 
 木と契りを交わす、工房楔のペンは、希少な木材の希少な部分を使って製作される。浮き出る木目は杢(もく)と呼ばれ、その杢の出方の鮮やかさによって、同じ素材でも価格が異なる。昨今は木材の価格高騰もあり、良い杢の出る数も減っているという。同じ表情の杢は二つとなく、イベントで出会う自分だけのペンを選ぶ悦びも、その魅力の一つになっている。

 

 YouTubeでのレビューによる知名度向上によって、「木軸ブーム」なるものが起こっていると言われるほど、その人気は高い。特に工房楔は、店舗を持たず、ネット販売も不定期の抽選販売に限られ、確実なのは各地で行われるイベント(即売会)に足を運ぶこと。そのイベントも抽選となるが、抽選がなかった昨年は、販売イベントに前日から並ぶなど、一部で混乱もあったほどらしい。

 

 そんな工房楔のペンを手にしてみたくて、1月末あたりから、ネットの抽選販売にときどき応募してはことごとく外れ、その人気ぶりを実感せざるをえない日々が続くなかで、神戸三宮で行われるイベントの抽選に、なんと当選したのだった。


 3/19(土)~21(月)の3日間あるうち日付指定はできず、自分の休日も19日しかなかったなかで、希望日の19日に当選したとわかったときは、返信された往復葉書を何度も見返して現実かどうか確かめた。

 なるべく多くの人に見て選んでほしいという配慮から、店頭でペンを選ぶ時間は20分に限られる。前日には陳列された商品の紹介動画が上がり、目を皿のようにしながら売場をイメージし、どうか売れ残っているようにと願って当日を迎えた。

 

 結果から言うと、購入できたのは欲しかった樹種すべて、である。これはもう、縁と奇跡だと思っている。
 ここからが、戦利品のレビューになる。

 

①黒柿孔雀杢 ペンシル0.5mm
 LAMY2000、ROMEO No.3とボールペンを立て続けに購入してきたので、シャープペンシルをまず選ぼうと思った。
 墨で描いたかのような流れる黒い杢が織りなす模様が、孔雀の羽根のように見えることからその名を冠した、黒柿孔雀杢。杢の出方によって価格は大きく異なり、黒が多く、目が細かいほど高価になっていく。木材そのものの値が高騰しており、今後ますます良いものが出せなくなるだろうと聞き、何としても欲しかった。高値がついたものから売れていったのが、着いてすぐにわかったけれど、欲しいと思える杢が残っていて本当によかった。

 

 艶のない、さらさらとした質感は、使えば使うほどに手に馴染み、手と一体になっていくような心地よさを味わえる。道具は身体の延長としてふさわしいものこそ優れていると言えるが、工房楔の黒柿はまさにその意味で至高だと思う。思い浮かんだことをすらすらと書き進めていく心地よさがあって、書いていたくてつい長々とペンを動かしてしまうほどである。


 手帳に書くときはボールペンだけれど、仕事柄、シャープペンシルを使う機会も多く、かつ大切な場面が多い。新たな相棒の一つとして、大切に使っていきたいと思う。(余談だが、Twitterで写真をアップしたとき、ハッシュタグをつけていないのに、黒柿が最も多くいいねをいただき、心酔する人たちの多さを実感した次第)

 

②ローズウッド瘤杢 ルーチェペン(ボールペン)
 深いブラウンに、複雑に波打つ杢と、宝石のような光沢を備え、艶のある手触りも極上な一本。
 シャープペンシルとボールペンをまずは1本ずつ決めるという過程で、他の樹種以上に惹き込まれた。リフィルにROMEO No.3と同じeasy flowを入れることができ、滑らかな書き味がさらに幸福感を高めてくれる。

 

 美しい杢の入ったペンを使って思うのは、書いている間も、ペン先を紙から離したときの時間もいとおしく感じられるということである。書くことを考える傍らで、思わず回して眺めてしまう時間がある。一日を振り返ったり、明日のことを考えたりして書き留めるという、とりとめのない時間に、一本のペンがこれほどの幸福感を与えてくれるのかと、改めて振り返って感動してしまう。宝物の一つになったペン。

 

③花梨瘤杢 ペンシル0.5mm
 もしも黒柿とローズウッドが売り切れてしまったら、と考えていた候補が、花梨の瘤杢だった。
 花梨には細かな杢が波打つリボン杢や、赤と白の部分が共存する紅白などもあるが、個人的には緋色の深く濃い瘤杢が欲しかった。入り組んだ杢はまるで炎をまとったようで、艶のある高級感もたまらない。黒柿とローズウッドの2本で、最も高価なものがすでに売り切れていたことで、用意していた予算内に収まりそうだったので、これを逃すわけにはいかないと思った。
 使用頻度はどうしても黒柿のほうが高くなってしまうけれど、経年変化を楽しみにしながら、使い続けていきたい一本である。

 

 こうして、夢のような20分はあっという間に過ぎた。抽選であれほど当たらず、たった1本を購入することすら難しいと思い続けたペンが、同時に3本手に入ってしまうことが嬉しいを通り越して怖くすらあって、購入から数日経ってもまだ現実味が薄い。写真を載せないこのブログ上で、こんなふうに語る必要があるのかどうか、ためらってはいたけれど、とても大切な出来事になったので、こうして残しておくことにした。

 

 杢の魅力は計り知れない。念願の杢のペンを手にしても、他の樹種も気になってしまう。購入機会が限られることで、頻繁な散財を抑制できるのがある意味救いのようで、入り組んだ杢のような複雑な気持ちになるのだった。