回想の光

 気持ちを言葉にする時間が、忙しいなかにもきちんと確保されていて、渦を巻いたり混沌としたりするようなことが減っているからか、ここに改めて書き出すのにずいぶん悩んでしまった。
 

 それを表現するための言葉はすでに見つかっていて、しかもそれ以上に言いようもないのだけれど、声になった言葉が消えてしまわないように、確かなものとして残しておきたいと日々思っている。光の粒を見下ろす満ち足りた時間は、真冬の風の中でも優しい温もりを湛えていて、その一日をかけがえのないものに変えている。
 変わらない過去を悔い続けることもあるけれど、変わることのないその揺るぎなさが、特別な記憶を特別なままに残してくれるのだと思うと、思い出すたびに心強く思えてならない。記憶は、思い出すことでずっと消えずにあり続ける。


 去り際のさみしさがなかったわけではない。けれど、それは一つの始まりで、手元には確信をもったこれからがあった。きっとその日をことあるごとに思い出すであろうこともどこかうれしく、幕が開いたその瞬間に差し込んできた光は、遠ざかる過去の地平から、ずっと現在を照らし続けてくれる。そんなふうに思った。

白く震えた旅人に残る絆

 多忙なのか怠慢なのか、うやむやにするように日々が過ぎていき、気がつけば1月が終わろうとしていた。ここに綴らない時間が増えていくのを頭の片隅で気にしながら、気にならなくなるのではと思いつつもそうはならず、かえってこれ以上途絶えさせるのはまずいという気持ちのほうが大きくなって、これを書いている。


 傷ついたり苦しくなったりしながらも、心の健康と平穏は保たれている。居心地のいい場所が確かにそこにあるのだと思うと、それによって踏みとどまれる。大丈夫だと言い聞かせる声が、きちんと聞こえる。


 写真を撮ること、新たな音楽に触れること、形のないものについて考えること、それらの積み重ねの先には、読書をする以外のかたちで自分のものになる言葉があるような気がしている。
 読むことと書くことから離れることは、必ずしも言葉をやせ衰えさせはしないはずだと言い訳のように唱えながら、精神的な部分を支えるために自分自身が求めるものを追いかけている。


 一つの転機が近づく。少しずつ重ねてきた緩やかな時間の足場から、見えてくる景色が楽しみでならない。

新しい時間の始まり

 思い返せば実にいろいろなことがあった11月だった。
 大きな出来事としては二つ。一つは原稿用紙換算100枚の小説を書き上げたこと、もう一つはミラーレス一眼を購入したことである。


 小説は、ぼんやりと書きたいイメージだけがあったのは去年の今ごろで、完成までほぼ1年をかけたことになる。休日のたびにネットカフェに出かけ、なんとか仕上げた。
 その過程で、描写が必要な景色を過去の旅先に求め、撮った写真を眺める時間が多く、さらにそれだけでは足りず、画像検索でも物足りなさを覚え、風景の写真集を買って見入っていた。けれどそれでも、自分の切り取りたい景色はそこになくて、次第に自分自身で撮りたいと思うようになってきた。


 ちょうど仕事でも写真を撮る機会があって、職場にあるコンパクトデジタルカメラで何枚も撮っていたが、撮れる写真にはどうしても限界があって、その限界に耐えきれず、ビックカメラに足を運んだ。
 複数のメーカーを比較して触って、考え、悩み、写真を撮っている先輩にも相談のうえ、三度ほど通って、SONYのミラーレス一眼に決めた。


 撮り始めて、そのポテンシャルに驚く。そして、写真を撮ることが光と向き合う時間であることを強く実感する。差し込む角度とその量と、適切な瞬間の見極め方を試行錯誤して、シャッターを切るその一瞬一瞬が楽しい。


 撮った写真は確実に、自分の次に書く小説に生きるだろうと思っている。欲しいと思った景色を手元に残し、言葉にするために、うってつけの武器を手に入れたような気持ちでいる。
 物事を見る目に、写真という視点が加わった。それだけで違って見えてくる世界に対して、Twitterで「新しい時間の始まり」と書いた。


 まずはよく知っている景色から、あちこち回ろうと思っている。見ているようで見えなかったものを再発見する可能性に、カメラを手にしたい気持ちが膨らみ続ける。
 何かに没頭することは、つくづく本当に楽しい。

秋風の吹く先

 8月の終わり、路地に吹き込んだ風に運ばれるようにして、秋めく街路にたどり着いた。言葉でできた建物に、目移りしながら進んでいく日々。穏やかで平和な街並みはずっと居心地がよくて、流れる時間は緩やかでいとおしく思える。


 忙しさに拍車がかかる10月に、あまりいい思い出はない。人恋しくなる季節の変わり目を思い返せば、そのぶんかつての痛みが甦る。どうしてこうも重なるのだろうと笑いたくなってしまうほど、思えばいろいろなことが重なっていて、けれどそれは動かしようもない確かな過去で、現在の自分を形作る一部分なのだと認めざるをえない。
 否定したくなる過去にきちんと向き合えてこそ、前に進めるとも思っているし、同じことを繰り返すことだけは避けたくて、記憶の痛みと闘い続けている。


 とりとめのない時間の連続が、足元に続く道になって伸びていく。交わした言葉のぶんだけ、深まっていく木々の彩りがあって、揺れる木洩れ日の上を一歩ずつ進むようにして、優しい陽射しに目を細めた。


 昨年の今ごろから、少しずつ暗雲が垂れ込めてきて、10月を無事に終えることができずに2週間の療養が始まった。それはとても貴重で有意義な時間だったし、休んでよかったとは思うけれど、休んでしまったこと、堪えられなくなってしまったことは、一つの事実として、案外根深く自分のなかに残り続けている。もう大丈夫と言い聞かせてみても、同じようなことはまた起こりうるかもしれないという可能性が、そのときは思いもしなかった微かな恐怖として自分の中にあるのだと思う。


 こちらの呼びかけにこたえるようにして届いた声は温かく、深い安心感に包まれる。それは遥か遠くからのようでありながら、ずっと近いところで発せられたもののようにも思える。距離を距離として感じずに、ただ目を閉じてその声にひたっていたいと思った。


 これなら大丈夫かもしれない、と思い始めている。何度となく折れた心は少しも強くなっていないけれど、致命傷から逃げるすべだけは、多少なりとも身についたような気がしている。まだもう少し、闘っていられるのではないかと思いながら、大きく息を吸って、新しい一日に飛び込む。


 息継ぎをするように浮かんだ海の上で、波音の彼方に浮かぶ月を仰いで、その光をじっと見つめては目を閉じ、心地よい夜の海に何もかもを委ねている。失いたくない安らぎが、この先もずっと続けばいいなと思いながら、祈るようにして星と星を結んだ。
 できあがっていく星座に、まだ名前はない。大切に温めた言葉を紡いで名前をつける楽しみが、夜の果て、天の川の先に待っているのかもしれない。
 一筋の光が、夜明けに向かって流れていく。

【旅行記】地上に広がる銀河を求めて

■8/15(月)松本〜姨捨


 名古屋駅を発った電車は次々とトンネルを抜け、木曽路をゆく。車窓から見える鮮やかな緑の稜線は高く、雄大だった。点在する家、ゆっくりと走る軽トラック、広がる水田の緑もまた眩しく、ああ、長野に来ているのだなという実感が強まった。目的地を長野に決めたのは、行ってみたい観光地があるからではなく見たい景色があるからだった。


 天気予報通りの曇り空の下、松本駅を降りて信州そばと天丼を食べた後、松本城に行こうというときに激しい雨が降り始めた。スーパーのベンチで雨足が弱まるのを待って、完全に止む気配がなかったためにあきらめて松本城まで歩いた。
 烏城とも呼ばれるその外観の黒は美しく、堀の水面を打ちつける雨の波紋とともに写真に収めた。いざ中に入ろうとすると城門前には行列ができていて、悪天候にもかかわらず一時間待ちの札を持った従業員らしき人が立っていたので、入らずに引き返すことにした。


 月曜日だったので美術館も休館日で、そのまま駅に向かって歩いている途中から雨は小降りになり、やがて止んだ。止んだどころか雨雲がどこかへ消え、青空さえ見え始めた。喜ぶ反面、松本城へ引き返そうかとも思ったけれど、カフェで本が読みたかったので、そのまま駅前のカフェにて読書を一時間ほど。電車の時間を調べてから読みふける。


 松本駅に戻ってローカル線に乗り、晴れを祈りながら目的地の姨捨駅へ。二両編成の普通列車に揺られる。
 到着してその無人駅ホームに降りたとき、眼下に広がる善光寺平の景色に思わず立ちすくむ。阿蘇カルデラの眺望を見たときに近い、いや、嬉しさとしてはそれ以上だったと思う。
 日本三大車窓に数えられる姨捨駅からの眺望。
 天気予報を裏切って続いてくれた晴れ間が照らすのは、棚田の景観と、山に囲まれた穏やかな街並みで、それは見晴るかす遠く先まで続く、のんびりとした風景だった。
 到着したのは午後五時過ぎ。電車は一時間に一本。たっぷりとある時間と、逃げることのない絶景。ホームから外側の眺望に向かって備え付けられたベンチに腰を下ろし、写真を撮りながら、ぼんやりとその景色を見ていた。
 雲は多かったものの、雨が降る気配はなかった。辺りはしだいに薄暗くなっていく。
 出発前から求めていたのは、ここから見える夜景だった。街の光が一面に浮かび上がる画像が思い出された。天気さえもってくれればと祈る思いを抱いて、斜面を下って棚田を撮影したり、周囲を散策したりしながら、日没を待ち、月を迎え、宵を待った。


 黄昏時の善光寺平も美しかった。空がゆっくりと青から紫へと色を変えていく。標高約六〇〇メートルから見下ろしていると、山の向こうに沈んでいく夕陽とともに、少しずつ街の端から順々に翳っていくのがわかる。昼はこうやって夕方になり、夕方はこうやって夜に代わっていくのだと、当たり前のことなのに、感慨深い思いで眺めていた。当たり前、と思いながらも、ずっと同じ場所にいて、日が沈んでいくのを静かに待つことすら、普段ではありえない行為なのだと思った。ただ待つという時間が、日常からの逸脱なのだった。そう考えると、こうしてぼんやりしていることが、たまらなく贅沢な時間に思えてきた。


 そして少しずつ、薄暮の中で家々に灯りがともり始めていく。山の向こうに隠れた太陽のわずかな光は燃えるような輝きで稜線を染め、振り返ると棚田の上に白く淡い月がのぼっていた。名月の里としても知られる姨捨の地を、悠然と見下ろすかのように、月はゆっくりゆっくりとのぼっていく。


 やがて辺りがとっぷりと闇に包まれたとき、眼下に広がっていたのは、宝石をひっくり返したような光の粒のきらめきだった。穏やかな里の景観は、ぼんやりと揺らめく人工の灯りがひしめき合う幻想的な輝きで満ちていた。雲が多く星があまり見えなかったために、それは地上に広がる銀河のようにすら思えた。ちりばめられた星の一つひとつはそこに暮らす人々の明かりで、だからこそいっそう貴くも思えた。旅の途中、さながら銀河ステーションのプラットフォームとなった姨捨駅で、とにかく夢中で写真を撮った。


 午後八時、定刻にやってきた電車が、銀河ステーションを現実の駅に引き戻した。名残を惜しみながら、姨捨駅を発って長野駅へ向かう。車窓から見える街の光のきらめきを、まぶたの裏に焼きつけておきたい。そんな思いで、車両がトンネルに入って、その景色が見えなくなるまで、うっとりしながら宵闇の向こうの銀河を眺めていた。忘れられない旅になった。


 じっと夜を待ちながら全身で感じたのは、時間そのものの手触りだったように思う。過去から未来へと流れていくのではなく、連続する現在の中で、目に見える辺りの風景や、聴こえてくる虫の声、涼しくなっていく風の肌触りによって、その移ろいが身に染みていく。今をとどめておきたいと思うそのことが、何ものにも代えがたい旅の幸せなのかもしれないと思った。

【掌編】夕凪

 水平線上をゆっくりとなぞるように進むフェリーを見ていた。沈んでいく夕陽に照らされ、穏やかに揺れる海が眩しい。港からこうして海を見るのも今日で最後なのだと思うと、日暮れがたまらなく悲しくなって、どうにかして夜を海の向こうに遠ざけたくなる。
 荷造りも終わって、家具も食器も衣類も何もかも、すでにこの街には残っていない。新しく住む街に海はなく、四方を山に囲まれている。坂道の多いその街を、決して嫌いではないけれど、潮風に乗って異国の空気が運ばれてくる波止場はずっと、私の生きてきた二十二年間に寄り添っている。思い詰めて見下ろした波打ち際、つらいことを忘れさせてくれる水面、潮の香りに涙が混じり合って、いっそ身体ごと、波にさらわれてしまいたいと思ったこともあった。
 海の向こうを眺めながら、遠くへの憧れも少なからず抱いていたはずなのに、この街を離れる今になって、手に入らない永遠を欲してしまう。寄せては返す波間から、浮かび上がるのは過ぎ去った記憶で、忘れていたはずの思い出が、去っていく私の手を引いてくる。
 大学進学を機に、私より先に遠くへ行ってしまった彼のことを今さらながら思い出して、笑いが込み上げてきたけれど、うまく笑えなかった。代わりに喉の奥がつんとして、どうして、と思う。
 ――どうして私、泣いてるんだろう。
 別離の悲しみも、失ってしまうことのさみしさも、四年前に流した涙に混じって、波が遠くへ運んでいったはずなのに、とめどなく溢れる涙を、私はこらえることができなかった。
 この街に二度と戻れないわけではない。この場所に訪れる機会が失われたわけでもない。そんなことはわかっているのだけれど、今この瞬間、この街にまだ住んでいる私として、過去の記憶をひっくるめてこうして思い返す瞬間が、後にも先にも、きっと一度きりなのだと思うと、そのかけがえのなさがどうしようもなく悲しくて、手の中にとどめておきたいのに、砂が落ちていくようにこぼれていく。これまでとこれからの境目、今につながっている時間が過去になって、新しい時間が始まっていく。期待がないわけではない。けれど、目の前にある海と同じ海を見ることは、この先きっと、もうずっとないのだと、確信のようなものが私の中に生まれていた。
 薄暮の空が涙でにじんでいく。夕刻と夜の狭間で、波は穏やかだった。聴き慣れた波音を、いつまでも聴いていたいと願いながら、せめてもう少しだけと、誰にともなく私は泣いた。
 どれだけの間、私はそうしていたのだろう。水平線の向こうに、漁船の影が見える。緩やかに、今日が終わっていく。海鳥の鳴き声が遠くから聴こえた。白い羽を翻し、濃紺の空を高く高く飛んでいく。そろそろ帰ろう、そう思ってから、そこに帰ろうと思うことも、これで最後なのだと思った。
 振り向いて仰ぎ見た夜空に、金星が灯っていた。

【短篇】祈り

 いくつものトンネルをくぐって二両編成の電車が到着した場所は、里という言葉が自然に浮かんでくるほどのどかで穏やかなところだった。辺境特集の企画が組まれた旅行雑誌の取材で、私は都心から三時間ほどかけて、その村にやってきたのだった。
 自動改札機はなく、駅員に切符をそのまま渡して改札を抜け、小さな駅舎を出ると、さっきまで晴れていたはずなのに、雨が降り始めていた。瓦屋根の民家が数軒建ち並んでいる以外は視界のほとんどが水田で、その向こうに深い緑の山々が見え、稜線は分厚い雨雲に覆われていた。私は鞄から折り畳み傘を取り出した。
 人通りのない駅前から少し歩いたところにバス停がある、と事前に調べた経路を思い出す。取材する場所は、観光地として語られることもない辺境、あるいは秘境とさえ言えるところで、「地図に載っていない絶景」と銘打ったページを飾るにふさわしい写真が必要だった。とはいえ、記事として紹介する目的は、そこに今よりたくさん人が訪れることで、その場所を含む地域を豊かにしたいということもあった。写真集代わりに買えてしまう安価な雑誌だけれど、写真をきっかけに、その場所に実際に足を踏み入れる人がもっと増えてほしいと私は思っていた。


 線路から遠ざかるようにして数分歩いた先にあったバス停のベンチには、先客がいた。駅を出て最初に見かけたその人は、しわだらけの両手を組んで、じっと何かに祈るようにうつむいていた。申し訳程度の屋根の下で、静かに目を閉じている。老人は傘を持っていないようだった。となりに腰を下ろした私を一瞥することもなく、彼は黙ったまま祈りの姿勢をとっていた。屋根を打ちつける雨音だけが響いている。次のバスが来るまであと三十分ほどだった。
 老人に、この土地のことを訊ねてみようかと思ったけれど、お祈りの邪魔をするように思えてはばかられた。眠っているわけでもないようだったが、退屈しのぎの会話ができそうな感じもしなかった。ただ、バスを待つその三十分の間、身じろぎすらしないでじっとしているわけにもいかないだろうと思い、老人が祈るのをやめる瞬間を待ってみようと私は考えた。読みかけの本を鞄から取り出すことはせず、周りの景色を眺めながら、老人を観察してみることにする。
 道路をたどった先には小さなトンネルがあって、その向こう側は暗くてよく見えなかった。電車に乗っている間に幾度となく通り抜けたトンネルを思い出し、改めてこの場所が、深い山の中にあるのだと実感する。一定の間隔で街灯はあるけれど、日が沈んでしまえばきっと、目の前にあるものもよく見えないほど暗いのだろう。バスに乗った先の川沿いには、ホタルが生息しているらしい。澄んだ水辺を照らすそのほのかな光を想像し、地上に生まれる天の川の幻想に、私はしばらくの間ひたっていた。

 十分ほど経ったものの、老人はぴくりともせずじっとしている。頼りない背中が微かに上下しているけれど、その呼吸が寝息ではないことはなんとなくわかった。もしもそのまま息をするのをやめてしまったら、近くの病院から救急車がここにたどり着くまでどのくらいかかるのだろう、と私は不謹慎なことを思う。
 雨脚が強まってきていた。屋根を打ちつける雨粒が大きい。風がないのでかろうじて濡れずに済んでいるけれど、足元は水浸しになっている。老人の履いている靴は革製の歩きやすそうな紐靴で、ずいぶんと使い込まれているのがわかった。左右対称のきちんとした結び目が、姿勢正しく祈りを続ける老人の性格を表しているように思えた。
 そういえば、亡くなった祖父も靴を大事にする人だったと思い出す。亡くなる直前まで海外のあちこちを旅行していた祖父の靴は、取材で国内を歩く私のスニーカーよりも遥かに年季と風格が漂っていて、それでいて愛情深く履き続けられているのもわかって、少しうらやましかった。愛着がにじみ出るほど長く同じ靴を履き続けた先には、いったいどんな景色があるのだろう。遺品を整理した後も靴箱に仕舞われているその靴を、私はもう一度見てみたくなった。
 まさか初めて訪れる場所で、見知らぬ老人の靴から忘れていた記憶を思い出すとは思わなかった。懐かしさとは違う不思議な温かさが、雨音に混じっている。軽トラックが一台通ったきり、車も全然通らない道の果てに見える古民家を、私は静かに写真に納めた。

 
 バスが来るまであと十分ほどだったけれど、老人はまだ祈り続けていた。昔、何かの写真集で、バス停のとなりにある地蔵菩薩に向かって拝んでいる人を見たことがあるのを思い出した。モノクロの写真は静かにその姿を伝えていたが、この場所には拝んだり祈ったりする対象になりそうなものはない。正面には雨が降り注ぐ水田があるだけで、偶像と呼べるものはおろか、信仰の対象になりうる岩や大木のようなものすら見当たらなかった。
 バス停でこうして座っているのだから、もちろんバスを待っているわけで、老人はどこかから別の場所に向かう途中なのは間違いない。改めて、彼はどこからどこへ行こうとしているのか、私は気になった。手荷物もなく、それほど遠いところへ行くわけでもないだろうし、独り身だとしたら、生活に必要なものをどこかに買いに行こうとしているのかもしれない。けれどそれならどうして祈る必要があるのかわからない。
 あるいは、大きな病院へ通院しているとも考えられる。もしくは、誰かが入院しているのを見舞うためかもしれない。重い病気の手術なら、その人の無事を祈るのは当然だろう。その人が老人にとって大切な人なら、なおさら祈りをやめずにはいられないはずだ。
 いくつもの推測を重ねながら、私は老人の祈りの意味を考え続けた。


 トンネルの向こうに、二つの光が見えた。ワイパーをしきりに動かしながら、バスがやってきた。私は傘と荷物を持って立ち上がる。いよいよ老人も目を開け、祈りをやめる瞬間がきたと思い、となりに目をやった。
 しかし、老人は結局、祈るのをやめなかった。
 私がバスに乗り込み、座席からバス停を見下ろしても、老人は固く目を閉じたまま、両手を組んだ姿勢を崩すことはなかった。真一文字に結んだ口が開かれることもなく、まっすぐに揃えられた両足はぴくりとも動かない。おじいさん、と私は思わず声をかけたけれど、老人には聞こえているのかどうかすらわからなかった。
 バスの扉が閉まった。私はとっさに鞄からカメラを取り出し、バス停に向かってシャッターを切った。何かそこに、残しておかなければならないものがあるような気がした。雨は勢いを増し、バスはゆっくりと動き始める。白くけぶるバス停と、祈り続ける老人だけを残して、どんどん遠ざかっていく。どうして、と私は思いながら、カメラを鞄に仕舞った。
 車内に乗客は誰もいなかった。私は座席に荷物を置いて、運転手のところに行って訊ねた。
 さっき、バス停におじいさんがいたんですけど――
 おじいさん、ですか? 運転手は気づいていないようだった。よく見えなかった、というわけでもないだろう。私は訊き直した。私と一緒にバス停にいたんですが。運転手は首を振った。そんなはずはと思い、私は座席に戻って鞄を開け、カメラを持ってもう一度運転席まで行った。この人なんですけど――
 と、私は撮ったばかりの写真データをカメラの画面に表示させて差し出した。赤信号に差しかかり、運転手がこちらを向く。
 ――どの人ですか。
 え、と私は言葉に詰まった。運転手は首を傾げている。見てわからないのかと画面を確かめた瞬間、私は二の句が継げなくなった。
 画面には、誰もいないベンチとバス停だけが写っていた。静かに祈りを捧げる老人の姿は、影も形もなかった。私は思わず運転手に言った。あの、確かにさっき、おじいさんが一緒にいて、ずっと両手を組んで祈っていたんです。
 青信号になり、バスが動き出す。運転手は前を向いて、ああ、と何かを思い出したように言った。
 昔、この辺りには隠れキリシタンの方々が住んでいらっしゃってね。今はもう、跡を継ぐ人もいなくなって、ほとんど残っていないそうなんですが。弾圧が厳しかったころは、この辺りを拠点に活動していたみたいですね。当時は公の場でキリシタンだとばれちゃいけないので、両手を組むとき、親指と親指を斜めに重ねて十字を作っていたんだと聞いたことがあります。そうやって祈れば、表向きはわからないけれど、きちんとその祈りは届いているんだ、って。確か、あのバス停の近くに、礼拝に使っていたほら穴があったんじゃないですかね。
 私は運転手の言葉を聞きながら、雨の中で静かに祈りを捧げる老人の、しわだらけの手を思い出していた。両手の親指をきちんと重ねて作られた十字架が、まぶたの裏にはっきりと焼きついていた。