小説のはなし

 前からたびたびここに登場していた青山七恵さんの新刊『かけら』、今日やっと読み終えました。
 ちょっと今日の日記、書きたいことを思うままに書きまくっている気がするので、読みにくければすみません……。




 前作の『やさしいため息』から確か1年ぐらい経つと思うんですが、この1年、柴崎友香さんの小説ばっかりを自分の文体に影響を与えられるほど読んできたせいか、『かけら』を読んで、改めて青山さんの文体の特徴を感じ取れた気がします。
 何人かの人が集まった中で、周りの人と相対化したときの「私」の気持ちが揺れ動くさまを描いているのが柴崎さんの小説なんじゃないかと僕は思っています。
 それに対して青山さんの小説は、少しズレてしまっている一人の人間を訝る「私」の心情の動きを描くことで、かえってありふれた日常が克明に表現されている気がします。
 また、『かけら』にしても芥川賞受賞作の『ひとり日和』にしても、ところどころに世界を斜めから見る「私」の吐く毒が書かれていて、スパイスになっていると思う。これもまた世界を優しく肯定しようとする姿勢が目立つ柴崎さんの小説とは対照的な部分だと思います。


 なんか、ここまで書いてみて、さらっと一本レポートが書けそうな気がしてきました(笑)
 もっといろいろ書きたい気もします。


 が、書きたいのは言うまでもなく小説です。
 読んでくれるひと、読みたいと言ってくれるひと、楽しみにしてくれているひとが身近にいるかぎり、忙しくても何とか書きたいと思っています。もちろん夢はデビューなわけですが、近くにいるひとがよろこんでくれるのが、やっぱり何よりうれしいし、それだけでも小説を書く理由になっています。


 ところで、小説を書いていることを誰かに初めて話すとき、当然訊かれるのが、「どんなん書いてるん?」という言葉だったりしますが、これ、非常に困る質問です。
 ファンタジーでもミステリーでもSFでも時代小説でもないので、シンプルな答えがなかなか見つかりません。恋愛を書いているものもあるんですけれど、そればっかりでもないし。
 強いて言うなら純文学だとは思いますが、純文学という曖昧な言葉の定義の中に僕の小説が含まれるのかどうかは少し疑問です。
「何気ない日常を」と僕は大抵答えてますが、純文学とエンターテインメントの間ぐらいの感覚で書いている気もします。
 で、どう考えてもジャンル分けが明確にできない気がするので、「普通の小説」という新たなカテゴリーを勝手に作りたいと思います。
 この「普通の」という言葉が人によって実に曖昧で、根本的な解決にはまったくなっていませんが、わかる人にはわかってもらえるはず……
 まあ、説明が面倒なので「とりあえず読んでみて」と原稿を渡すんですけどね(笑)