雨模様の京都で

 あまり雨の降らない梅雨だなと思いながら7月を迎えたけれど、京都に行く日は大体雨が降るのはどうしてなのだろう。不思議に思いつつ、でもそんなに悪くない気もしている。
 新海誠監督作品の『言の葉の庭』を観たからかもしれない。雨がつないでいくひととひととの関わりが、日常に優しい波紋をつくる。しとしとと降る雨に包まれ、静けさにじっと耳を澄ませる。


 京都に行くと、時間の流れ方が大阪とは違うように感じられる。仕事があわただしかった翌日だから余計にそう感じるのかもしれないけれど、日頃ずいぶんせっかちに生きている自分を省みて、ゆったり過ごす時間の大切さを思う。


 京阪電車に揺られ、長い時間本を読むだけでも、京都に行く目的としては十分なのだが、ほっと一息つける場所にたどり着けたことで、これから先、たびたび西陣を訪れることが増えそうである。


 大学時代には日常だった京都が、今では非日常の街に思えて、少し歩けばその場所に浸っていたくなる。喧騒からの遠さと、仕事のことを一瞬忘れられる安心感がいとおしい。


 現実と夢のあわいを飛ぶ蝶に導かれるまま、開けた扉の向こうには、優しい安らぎがあった。何でもない会話といっしょに、身体が軽くなっていく。食いしばっていた歯を緩め、ほおばった和菓子の甘さの余韻に、明日からまた頑張ろうという気持ちになる。


 鳴る神の 少し響(とよ)みて さし曇り 雨も降らぬか 君を留めむ


 『言の葉の庭』で引用されていた、万葉集に収められている柿本人麻呂の和歌を思い出す。雷鳴がかすかに響いて空が曇り、雨でも降ってくれないかしら。そうすれば、あなたが帰るのを引きとどめるだろうに。


 終わっていく一日が名残惜しい。