鮮烈な幻想的現実

 1冊の本を、少し時間をかけて読み終えたに過ぎないのに、なにか、何冊もの本を読み終えたような読後感に包まれて、感想を書いている。ちょうど読み始めてから1週間経つのだと振り返ってわかったけれど、本当に1週間だったのだろうかと、不思議な記憶の歪みさえ感じられる。


 東雅夫編 『文豪怪談傑作選 吉屋信子集 生霊』(ちくま文庫


 小川未明集に続き、幻想や怪談と呼ばれる文脈をたどって手に取った一冊。しかし、裏表紙の紹介文に書いてあるような、「分身の恐怖」や「媼の幻影」といった言葉が呼び起こす、この世ならざるものの存在は、それほど多くは出てこない。作者は「世にも不思議な物語」と、この作品群について述べているそうだが、確かにそれは現実の地表の上で起こりうる不思議さであると言っていい。
 非現実的な要素を持ち込んで、幻想的な世界に読者を拉致するような作品も魅力的ではあるけれど、個人的にはこういう、あくまでそれが現実に起こりうるであろうという出来事をつなぎながら、人物の視線や心情の描写と物語の展開によって恐ろしさを形作る物語のほうが好きだと思わされた。


 表題作の「生霊」(いきたま)は、登場人物の誤解から、一人の男の存在が生霊に姿を変え、「生死」では、霊魂の不滅を信じる一人の兵士が、死にきれなかった自らの肉体を、霊魂の宿った死後の肉体と思い込む。いや、思い込みだと言い切っていいかどうかははばかられる。その境界が実に絶妙にぼやけ、霧の中に浮かぶ焔のような妖しさを、作品に宿しているのだと思う。
 「鶴」でもそうだ。戦火のなかを助けてくれた男が、かつて父の助けた鶴の生まれ変わりだと信じることの先にのみ、救いがある。


 思い込み、という言葉を使ったが、吉屋信子の作品には、人間の内面に潜む狂気が描かれている。おさえようもない、何かに対する衝動が、見るものを変貌させるおぞましさが、美しさをともなった文体で描かれている。人物の境遇や性格の書き方に無駄がなく、なおかつ、あっさりしているのに、それが作品の結末まで貫く背骨のようにしっかりと据えられている。
 中編「海潮音」では、望めば何もかも手に入るほど裕福な家庭に育ちながら、欲しいものを誰に知られることもなく盗み取ることに愉悦を覚える慶之助の、少年時代からの行動が、結末で強烈に効いてくる。読み終えて鳥肌が立った。


 今こうして振り返っても、一つの作品について述べたいことが数多い。平易さと濃密さを場面によって書き分けたその筆致に、何度ため息をついたことか。今年の10冊を選ぶ際に、間違いなくこの1冊は入るだろうし、好きな短篇を挙げろと言われたら、今後は絶対にこの1冊から1つは挙げるだろう。
 珠玉の作品群とは、こういうものを言うのだろうと思う。一つひとつが妖しく輝く水晶の数珠のように、手放すことなく握りしめていたい1冊だった。