言葉の向こう、人間的なものたち

 中村文則[著] 『土の中の子供』(新潮文庫
 小川洋子[著] 『薬指の標本』(新潮文庫
 小川洋子[著] 『妖精が舞い下りる夜』(角川文庫)


 昨日から今日にかけて読んだ本たちである。どれも200ページ前後のものなのでさらっと読んだのだが、さすがに3冊まとめて感想を書くと文章量もえらいことになるだろうと思うので、今回は適度に控えめな雑感にとどめようと思う。


 中村文則氏の『土の中の子供』は、芥川賞受賞作である。先日第143回の受賞作が決まったけれど、それに関連して何かタイムリーなことを書こうと思ったわけでもなく、『掏摸[スリ]』が面白かったので手に取ったしだいである。
 虐待された経験を持つ27歳のタクシードライバーが主人公で、まっとうとされる社会生活がままならない状態の中、人間として堕ち続けたその先に何があるのかを見極めてみたいという危険な衝動も抱えている、そんな人間である。虐げられる側から見つめた暴力や悪が語られているが、それは『掏摸[スリ]』と同じく、小説を面白くする素材として、暴力や悪が持ち込まれているわけではない。著者の問題意識の中にあるそれらと真摯に向き合った末に捻り出したものが、作品として一つの形をなしていると言っていいだろう。変に飾り立てようとする意識が見られないぶん、その文章には異様なリアリティが感じられ、やはり引き込まれた。
 人間という生き物は、法で罰せられるようなことをしたことがない者であろうと、それを善人と断言することはできない、複雑な様態で存在している。善人ぶって生きている奴が一番許せない、という言葉(確か『掏摸』だったと思う)が重たく響いた。


 続いて小川洋子氏の小説『薬指の標本』と、エッセイ『妖精が舞い下りる夜』についてだが、最近小川洋子熱が冷めることを知らない。同じ作家のものばかりを偏って読み込むことは避けたい気持ちもあるのだけれど、知名度も高くて本が手に入りやすいこともあって、つい買ってしまう。
 いや、それどころではなかった。書店では現在手に入らない『文藝2009年秋号 小川洋子特集』をネットで注文して、そんなうれしそうな顔を最近人前で見せたことあったっけか、ぐらいの表情で(爆)、インタビュー記事を読んでいたりする。


薬指の標本』は、小川さんの持ち味を示す代表的な作品としてよく取り上げられていたため手に取った。一言で言うなら、標本技師の弟子丸氏のもとで助手をする主人公「わたし」が、標本をつくる彼とひそやかに交わす、少しいびつな愛情の形である。まだ完全には死んでいない、生きているものを、生きたまま標本にして閉じ込める、という作業が描かれる過程に、何より小川作品らしさが漂う。閉鎖的な空間に満ちる独特の静けさと、登場人物の、あるいは物語自身の存在の脆さが、危ういのに心地よく思える。
 自分でも気付かぬまま、蜘蛛の糸に引っかかったかのように、その魅力に絡め取られてしまいそうな、そんな感じがした。


『妖精が舞い下りる夜』は、芥川賞を受賞して間もない頃に書かれた著者初のエッセイである。書店で小川作品の背表紙をただぼんやり眺めているだけでは、そのタイトルから全然エッセイとは気付かない。
 内容としては、小説で自分の内面を決してあからさまに書かない作家ということもあって、私的な文章が楽しく、微笑ましく読めた。いくつか作品を読んで、自分なりに想像していた著者像と、どのような一致、不一致があるかを探しながら読むのが、エッセイの醍醐味の一つだと思う。


 ちなみに、阪神ファンなのは知っていたけれど、まさかこれほど熱狂的だとは知らなかった。というか、巨人に対する敵対心に驚く。
 私自身は特に支持している球団があるわけでもないのだけれど、もし「全作品を本棚に並べるくらいファンです。でも同じくらい巨人も応援してます」と言われた場合、果たして小川さんは握手に応じるだろうか。少し心配になった。