写真より鮮明な言葉のアルバム

 幸田文[著] 『草の花』(講談社文芸文庫


 時代を越えても褪せることなく伝わる文章に出会うというのは、なかなか稀なことである。現実をもとにして書かれたものである以上は、基盤となるその時代があるし、時間が経てば経つほどその「当時」は古びた印象を持って現代を生き続ける読み手に迫ってくる。


 幸田文の随筆には、その古びた印象というものが不思議なことに感じられない。戦後間もない頃に書かれたものであるはずなのに、読んで浮かび上がるイメージはセピアでなく明瞭なカラーである。単に語彙であるとか文章力であるとか、そういうものが優れているからという理由では説明できない何かがあるように思えて、少し考えてみた。


 この『草の花』は、著者がミッションスクールに通っていた頃のことをつづった表題作と、ささやかな日常に目配せを試みる「身近にあるすきま」、「きのうきょう」が併録されている。
 表題作の「草の花」を読んでいて、どうしてこう、30年も昔のことを事細かに、鮮明にしたためることができるのだろうと嘆息してしまうほどだった。22年しか生きていない人間にとって、30年前を振り返ることがどういうことなのかは知る由もないが、過去に対する真摯な視線と、年を重ねるにつれて研ぎ澄まされていく感性を持っているからこそ書きえた文章にはほかならない。しかもそれが、大きな出来事だけでなく、本当に些細なことまで丁寧に書かれているのである。
 そしてなおかつそこに色褪せた感じが見受けられないのは、語られる独自の体験の中にも、人間誰もが抱くであろう感情が仔細につづられているからだと思う。人間の本質が、時代を越えても変わらないことを見事に伝えている文章である。


 個人的に好きなのは、「身近にあるすきま」の「夜長ばなし」。言葉についてわりとストレートに書かれているのが素敵だった。
 ちなみに、「きのうきょう」はかつて朝日新聞の連載だったものである。新聞にこんな味わい深いエッセイが載る、つまりは、毎日何か新しい幸田文の文章に触れられたのか、と当時をうらやんでしまったしだいである。