Relation

『魔法使いクラブ』青山七恵[著](幻冬舎


 およそ1ヶ月ぶりに小説を読んだ。先月買ったまま、そのうち読もうと楽しみにしていた青山さんの書き下ろし長編である。
 読んでいる間は感想をしっかりここに書いてやろうと意気込んでいたのだけれど、読み終わるととてもそんな気になれず、けれど心の中に重苦しいわだかまりができてしまって、そのせいでいろいろなことを思い出したり考えたりした。


 語り手の結仁(ゆに)は、魔法使いになりたいと真剣に願っている小学校4年の女の子である。あるとき幼馴染の親友である葵と史人とともに、魔法使いクラブを結成する。
「三人の願いが叶うまで魔法使いクラブをやめてはいけない」
 という契約を交わし、三人は誰にも内緒で魔法の練習を始める。
 しかし、七夕の短冊に「魔女になりたい」と書いた結仁は、それがきっかけでクラスの笑いものになってしまう。
 もともとクラスになじめず、ほとんどのクラスメイトと距離を置いて過ごしてきた結仁は、そのとき世界からはじき出されるような気持ちに襲われる。


 全三章あって、それぞれ小学校、中学校、高校時代が描かれている。
 簡単に第一章の内容を書いてみたけれど、全体を通して、とても『魔法使いクラブ』なんていうかわいらしいタイトルで呼べない作品だと思う。
 クラスにはなじめずとも、幼馴染三人の絆は結仁を唯一つなぎとめていたのだけれど、魔法なんて使えるわけがないという確信が形になって三人の間に現れたとき、そのつながりさえも破綻する。


 人と関わるとき、深く関わろうとすればするほど、その人の向こうにある人間関係にも属することになる場合がある。いや、場合があるではなく、どこかに属さずにはわれわれは生きられない。
 特に、教室という空間に40人の人間が入れられるとき、そこには必ず多数派と少数派のグループができる。誰と関わるかではなく、どこに属するかのほうが生きるうえでの大きな問題となる空間である。
 人と人が複雑に関係を持つことによって作られている社会、それはこの作品の中では社会ではなく世界であり、人との関係を絶つことは、世界と自分とを切り離すことに他ならない。
 しかし結仁は、人と関係を作り上げていく以上、そこにはつねに破綻の危険性があることを悟る。いかに幼馴染のつながりが強固であろうと、一生変えられない家族の血のつながりであろうと、自己にとってそれは単なる他者にすぎない。どれほど長い時間をかけて築き上げた関係も、崩れるときは一瞬であり、どの関係もその可能性を孕んでいる。
 物語は、つながりを持たずには到底生きられないような世界の中にいながら、それでも必死に抵抗を試みる結仁の8年間である。


 したがって、この作品の中には、結仁を中心とした様々な人間関係が描かれている。幼馴染同士の関係、クラスで唯一仲良くしていた憧れの女の子との関係、片思いの男の子との関係、父、母、姉、兄との関係――
 当然これだけではない。同じ教室にいる以上、関わらなくてもそこに「クラスメイトである」という関係がすでにできてしまっている。いくら結仁が「無関係だ」と言い張っても、である。


 ここまで書くと、何やら誰かと関わり合うことが、逃れられなくて恐ろしいことのようにすら思えてしまうけれど、それは言ってしまえばあまりに当然のことで、われわれは普段そんなことに頓着せず生きている。友人と話すのも、大勢でどこかへ遊びに行くのも楽しい。その楽しさを知ったうえで生きている。
 ただ、大学に入るまで生きていれば、誰だって少なからず人間関係の苦労は経験しているはずである。人と人をつなぐ目に見えないものが、時としていかに強固で、いかに脆いかも理解していると思う。
 関係が心地よければ、そしてそれが当たり前のものになってしまえば、われわれはその本質に無自覚になる。
 長いこと書いたけれど、この小説はそんな人とのつながりについて考えさせてくれた。救いがあるとは言いがたいにしても、つながりを書くためにはまず人間が書けなければならず、その点、青山さんは秀逸に、繊細に人間を書いている。
 その鋭敏な感性と、抽象的な感情をさらりと比喩で表現する筆力には、毎度のことながら圧倒されてしまった。


 しっかりと人を描けてこそ小説だと思う。